スター列伝・スターコラム

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略歴

ペ・ヨンジュン

コラム① 清潔な色香の漂う微笑みの貴公子

日本で最も愛されている韓国スター、ぺ・ヨンジュン。
『冬のソナタ』で演じたイ・ミニョンそのままに、柔らかい微笑を浮かべ、優雅なしぐさ、高潔なたたずまいで見るものを魅了する貴公子だ。
私が初めてペ・ヨンジュンの動いている姿を見たのは『愛の群像』だった。
それまでも、「ソフトな微笑の貴公子」「ペ・ヨンジュンが登場して以来タフガイ旋風が収まってしまった」などという様々な記事を読むにつけ、女性たちの好みの概念をすっかり変えてしまうほどの人気スターなんだなということは知っていたが、実際見て、正直「この人のどこが?」と思ってしまった。
今にして思えばごめんなさいという感じだが、『愛の群像』でのペ・ヨンジュンは、ちょっと顔がむくんでいる感じで、冷たい印象だった。
ただこの作品は内容自体がとても良く、見続けていくうちに、ペ・ヨンジュンの、愛に、人生に苦悩していく姿に感情移入し、ラストシーンではしばらく身動きできないほどの感動に包まれた。
ペ・ヨンジュンにとってもこのドラマは作品的に一番いいと思っているそうだ。こうしてペ・ヨンジュンの名は私の中にインプットされた。

そして次に見たのが2年後の『ホテリアー』だった。
別人かと見まごうほどシャープに痩せ、クールな表情にトレンチコートを着て登場するシーンはまさに私好み。ようやくペ・ヨンジュンの魅力に気がついたのだった。ここでの役どころは、海外に養子に出されたコンプレックスを払拭するように仕事人間となっているビジネスマン。冷たくて隙がなくて容赦がない頑なな人物だが、恋を知り、弱さ、もろさをさらけ出していく。堅さとナイーブさが同居して、「この人を幸せにしてあげたい」と思わずにはいられない孤独な男性像を見事に体現していた。洗練された成熟した男性の魅力が全開。この作品で、ペ・ヨンジュンは私の中で、‘一押しのスター’へと昇格したのである。

それから遡ってデビュー時からの演技の数々を見るにつけ、初期の頃と現在とでは全く印象が違っている。その魅力の奥深さにまた驚かされた。ペ・ヨンジュンの芸能界デビューはドラマから。

1994年10月、『愛の挨拶』の主役を捜していたKBSのチョン・ギサンプロデューサーが演劇学校のスタッフの紹介で会ったのが彼。
部屋に入ってきたペ・ヨンジュンを見た瞬間「まさに彼こそが私の探していた人物だ」とビビッときたのだとか。
そして、あまりにも顔立ちが良すぎて貴公子タイプから抜け出せなくなるのを心配してわざわざ眼鏡をかけさせた。ぺ・ヨンジュンのトレードマークともなっている眼鏡はこの時誕生したものだ。
後に『冬のソナタ』でタッグを組むことになるユン・ソクホ監督も共同監督に加わっていた『愛の挨拶』では、ペ・ヨンジュンの魅力を最大限引き出した演出と、彼のソフトで明るい微笑みで一気に10代のアイドルに浮上した。
続く95年に放送された『若者のひなた』も富豪の一人息子を演じて大ヒットし、人気を確実なものとした。
この2作品でのペ・ヨンジュンはまだ垢抜けない感じだが、温かみがあって、明るい好青年というイメージだ。
育ちのいい役柄だっただけに、のんびりとした人の良さみたいな空気が漂っている。文人を重んじてきた両班文化の国、韓国では、この‘育ちのよさ’は人々から好かれる大きなポイントだ。
それだけに、ペ・ヨンジュンの商品価値もぐんぐん上がり、ドラマ、CFのオファーが殺到するが、この間もずっと自分を見いだしてくれたチョン・ギサンプロデューサーからの助言を受け、チョン氏の推薦があった作品にだけ出演して義理を守ったという。
その匂い立つ品の良さから何不自由なく生活してきたのかと思いきや、高校2年の時父親が事業に失敗したため大学進学を諦め、タクシー運転手や花の配達など、様々な仕事をして生活を支えていたのだとか。
もともと映画監督を目指していたペ・ヨンジュンは友人と共に映画会社でスタッフの仕事をして演出の勉強をしていたところ、たまたま『ビルグ』の撮影で急遽大学生役が必要になりペ・ヨンジュンが出演することになったという。
しかしこの作品は一般公開されることがなかったらしいが…。

96年には『パパ』に出演。
ここでは若くしてパパになったバツイチの小説家の大学教師という役どころ。
インテリでソフトで優しくて、女性にモテモテ。そしてそれにオープンに応えていく感じなどは、『冬のソナタ』のイ・ミニョンをちょっと髣髴させる役柄だ。
このあたりからソフィスティケートされた雰囲気が出てくるようになり、人気も全開という感じになった。
あまりにも素敵な若きパパ像に、「なぜ私の夫はペ・ヨンジュンみたいじゃないのかしら」と夫と比べて不満をもらし、恋煩いに陥る女性たちが続出したという。
ペ・ヨンジュンは顔さえ出せば、ドラマはヒットするとまでいわれるようになった。
ここまでを第1期とすると、96年から99年までは「孤独期」とでも名づけたくなるほど、貧乏な苦学生を演じることが多かった。

『初恋』では、幼なじみの女性を好きになるが、彼女はお金持ちの家の娘でしかも自分の兄と相思相愛だったので自分の思いを抑えていくという切ない役どころ。
珍しく、反抗的でワイルドなペ・ヨンジュンの姿が見られるドラマだ。
そんな青年が法律家を目指して勉学に励むものの家の事情であきらめざるを得なくなり、ひどい仕打ちを受けた幼なじみの彼女の家への復讐に燃え、冷血な実業家になっていく。
『初恋』は歴代視聴率ナンバーワンの65.8%という最高視聴率をはじき出し、ペ・ヨンジュン自身も幅広くファン層を広げた。

『裸足の青春』では、幼くして母を亡くし、父親の面影を求めてソウルに行き警察学校に入るが、実の父はやくざの親分で、その上因縁のある検事の娘と恋に落ちてしまうという役だ。
見所はなんといってもペ・ヨンジュンの警察の制服姿。キリリと着こなし、格好いいことこの上ない。また喧嘩のシーンもあるのでペ・ヨンジュンの足蹴りなど、珍しいアクションシーンも見られる。
そして極め付けが冒頭に挙げた『愛の群像』だ。
母に捨てられたため愛を信じず、金持ちの女性をものにすることを目的にしている野望の男。狡猾でシニカルで、でも孤独で寂しさが漂っている。
それが真の愛に目覚めて心を開いていくが、病魔に襲われてしまう。苦境の連続なので泣いたりつらい表情が多い。

 

この作品以後、成均館大学で初めて導入された自己推薦制度で映像学科に合格し、2000年春から、当初の夢である映画監督になる勉強を本格的に始めた。
こうした充電の時期を経て『ホテリアー』で再登場となったわけだが、ここからが第3期、ペ・ヨンジュンの本領発揮の時期といっていいだろう。

 

『ホテリアー』で「やはりペ・ヨンジュンだ」と再評価され、続く『冬のソナタ』のミニョン役のときの美しさは『ホテリアー』の切れるビジネスマンの役柄に更に余裕を加えた感じで、これまで演じてきた温かい男性像とクールさとを兼ね備えたムードで多くの女性がノックアウトされた。

 

そして満を持しての映画デビュー。
これほどの人気者、映画界が放っておくはずがないのだが、それまで殺到するオファーにも「まだ自分には早すぎるから」と固辞し続けてきた。
キャリアを積んで99年にはいよいよ映画界に進出と本人も意欲満々だったが、今度は映画デビューということにプレッシャーがかかってかシナリオ選びも慎重になり、結局当時は適当な作品にめぐり合えなかった。
それほどまでに慎重なペ・ヨンジュンがデビュー作に選んだのがなんと時代劇だったのだからみんな驚いたのも無理はない。しかもラクロの小説「危険な関係」を朝鮮時代に置き換え、当代きってのプレイボーイに扮するという。
トレードマークの眼鏡も、女性たちを夢中にさせたソフトな微笑みも、風になびくヘアスタイルも隠し、エロチックなシーンにも果敢に挑んだ。
その結果、緻密な様式美と予想以上のペ・ヨンジュンの好演に映画は大成功。華々しいデビューを飾り、スターとしての株価は高値安定といったところだ。

 

懸案だった映画を成功させ、俳優としての自信が大きくついたのだろう。
2003年、ペ・ヨンジュンの元に日本から約900人のファンが駆けつけた交流会での姿は、その1年半前に『冬のソナタ』終映パーティーで会った彼とはオーラが違っていた。神々しさがグレードアップし、清潔感を絵に描いたようで、男のフェロモンを感じないというか、生身の人間ではないみたいだった。
一つ一つの身のこなしが優雅で、高貴な気品が香り立つ。異世界の王子様といった感じだ。
デビュー時からは本当に見違えるような変貌ぶり。
これもたゆまぬ努力と徹底的に自己管理するという意志の強さの賜物なのだと拍手したくなる。

 

 

素顔の彼は少し気難し屋さんのようだ。
いつもベールに包まれていることにこだわり、放送関係者の間でも潔癖性に近い徹底したイメージ管理で有名だ。親しい3,4名の記者以外の取材は受けないし、ショーや娯楽番組に出ることもない。
これも『ホテリアー』以降少しほぐれたかと思ったが、それでも圧倒的に露出度は少ない。
取材者にとっては非常に厄介なスターだが、ファンには格別の愛情を見せる。
先のファンとの交流イベントでも、自ら言い出して約900人のお客さん一人一人と両手で握手をし、目をじっと見つめて話しかけるなど、並々ならぬ誠意を見せた。
会場全員が魔法にかかったように夢見心地になっていたことは言うまでもない。
こうして実際にも我々はペ・ヨンジュンのクールさと温かさに翻弄されていくのである。

 

※2004年7月発刊「韓国はドラマチック2」(東洋経済新報社)より
記事の転載はご遠慮ください

コラム②ペ・ヨンジュン  有言実行の人

記者会見に出席してドキドキするなんていつ以来だろう。
初めてかもしれない。
普段だと会見は席に座って話が進行されるのを聞いていればいい。質問したければ手を挙げるし、しなくても他の人が質問するだろうから静かなる傍観者でいてもかまわない。だが、このときは違った。
それは、NHKで行われた『太王四神記』(07年)の会見でのこと。
このドラマ、特にタムドクの人物像にほれ込み、それを演じたペ・ヨンジュンのやわらかさと激しさとカリスマ性が本当に見事にマッチしていてすごくいいなあと気持ちが盛り上がっていたので、どうしてもペ・ヨンジュンに質問したかったのだ。
それは、私がドラマを見て一番感じたこと。
望むと望まざるとに関わらず、選ばれし者の苦悩と孤独をひしひしと感じるドラマだっただけに、国を背負った韓流スターとして選ばれたペ・ヨンジュンの姿とすごく重なるものを感じ、「本人も共感するところがあったのではないか、どう思って演じていたのか」ということだった。
NHK始まって以来の取材者が詰めかけた記者会見だけに、熱気も尋常ならざるものがあり、そんな中で質問者として、当ててもらわねばならない。
相手はペ・ヨンジュンだと思えばこそ下手な質問はできないと、幾度も心の中で簡潔に質問が言えるように唱えてみる。
その思いが通じたのか、頃よく三番目くらいに当たり、無事に質問できたのだが、声が震えているのが自分でもわかった。
司会者としてステージでインタビューするときは違う精神状態になっているので、緊張はすれどもあがったりしないのだが、ステージを降り、司会という役割を脱ぐと、とたんに弱気になる。
ましてやたくさんのマスコミの中で質問するなどという状況にはやはりあがってしまったようだ。
「やっぱり好きなんだな」と、この胸のドキドキ具合で自覚したのだった。
ところで、その答えだが、謙虚なペ・ヨンジュンは、
「あんなに偉大な人物との共通点はないけれど、男性として何かをやりとげるときの責任感は共通かもしれません。タムドクのように私もいい仲間に囲まれているので孤独は感じていません」
というものだった。でもその後、同席していたムン・ソリとイ・ジアが、
「彼は常に孤独と戦っているようなところがあって、逆にそれが彼を強くする一つの要因になっていると思う」
「人より一段高い位置から、いろいろなことに気を遣わなければならない立場にいる方は大変だと感じた」
と発言し、彼がいかに大変で不自由そうだったかということを語ってくれたので、共演者から見た彼の置かれている立場というものがよく伝わってきた。
出会いからを振り返ってみると、ペ・ヨンジュンに対する印象は、「有言実行の意志の強い人」だ。

『冬のソナタ』(02年)がNHK‐BSで放送され、まだ本格的ではなかったとはいえ、すでに大きなムーブメントが起き始めていたころ。来日を希望する日本側のインタビューに彼は、「日本の皆さんが自分のことを愛してくれるので、私も日本のことをきちんと勉強してから行きたいです」と答えていた。
そんなに堅苦しいことを言わなくても、ただ来てくれるだけでみんなうれしいのに……と思ったのだが、その翌年の四月に初来日を果たしたとき、日本に対する造詣の深さをうかがわせる発言が随所にあり、彼は本当にしっかりと日本について勉強して来たんだなあと感じた。取材時にも言葉のふしぶしに日本語が飛び出すし、カタカナも読めていた。
読者プレゼント用のサインに添える言葉も、ひらがなで「おしあわせに」とあった。これはちょいちょいと勉強したのでは身につかないレベルだと思った。
口に出したことはきっちり実行する。まさに‘有言実行’の姿を見たのである。
また写真集のために身体を作ると決めたら倒れそうになるまでトコトンやり抜く。なにもそこまでやらなくても……と傍観者は思うが、本人的に自分が設定したレベルに達しないと納得できないのだろう。
演技も納得いくまで「もう一度」と、自ら申し出る。そこに妥協はない。
彼は‘微笑みの貴公子’と呼ばれるだけあって、笑顔ばかりがクローズアップされがちだが、その下には強靭な意志と、韓流を背負って立つという責任感があふれている。
『太王四神記』でも、ただおもしろいドラマというだけでも十分いけたであろうところを、キム・ジョンハク監督はペ・ヨンジュンとの会話で、なぜタムドクという英雄を描こうと思ったか、その精神を描くという初心に気づかされ脚本を練り直す決断をしたという。
安易なドラマ作りをよしとしなかったペ・ヨンジュン。こういうところにも彼への信頼感が生まれる。

私が印象に強く残っているのは、『四月の雪』(05年)の制作発表がサムチョクで行われたときの記者会見だ。
ここで、彼は竹島(独島)問題についての発言を求められた。
司会をしていた映画会社の人が、その質問は映画に関係ないので……と、一度は断った。だが、ペ・ヨンジュンはマイクを手に持ったのだ。
無視すればできただろうに、そこをあえて彼はマイクを握った。
「個人的に思っていることはありますが、今日はそういう場でないので、また機会をもうけて」
と答えた。このときも、私は「あとで」なんて面倒なことを律儀に言わなくてもいいのにと思った。だが、後日、彼は約束を守って自分のホームページで答えていた。私はそれを見て、やっぱりこの人は有言実行の人だなとつくづくと思った。そして、この逃げないところに尊敬すら感じた。
またそのときのホームページのコメントがよかった。
「私に役目があるとしたら、国家や領土の線を引く言葉より、アジアの家族たちの心と心の線をつなぐこと……私が今まで受けてきた大きな愛を、もっと大きな愛で返すため……」。
ぺ・ヨンジュンが言うと、本当にそうだなと説得力が感じられる。
一時期あまりに特別視されすぎて、真面目なだけに、自分の使命をまっとうしようとどんどんストイックになっていって、窮屈そうだなと感じられるときもあった。
それが、『太王四神記』のプロモーションで来日したときは、共演者や監督たちと一緒だったせいかもしれないが、とても肩から力が抜けているような印象を受け、いろんなことを楽しんでいるように見えた。
国と韓流をしょって立つ立場になってからもう長いので、その立場にも慣れ、うまくつき合う方法を見つけたのかもしれない。
願わくば、もう必要以上の重責を負わず、早くそこから解き放たれて、失敗してもいい くらいのスタンスでたくさんの作品に取り組んで、いろんな姿を見せてほしいと思う。

 

※2009年1月発行「恋する韓流」(朝日新聞出版より)
記事の転載はご遠慮ください

 

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