スター列伝・スターコラム

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略歴

チャ・インピョ

端整な顔立ち、あふれる気品、チャ・インピョは、まさに韓国の貴公子である。思えば、この人の出演したデパートを舞台にしたドラマ『オールマイラブフォーユー』を見たのが、私の韓国ドラマへの興味の始まりだった。この『オールマイラブフォーユー』で大手デパートの御曹司を演じたチャ・インピョは、洗練された身のこなし、流ちょうにあやつる英語、細面の顔に似合わずボディービルで鍛え上げたたくましい体、そしてアフターファイブにはサックスなんかを吹いてしまうという、もう絵に描いたようなかっこいい男性で、それこそ、少女漫画に出てくる白馬に乗った王子様のようだった。あまりにキザ過ぎて笑ってしまうところもあったが、この人がやると様になるのだ。もちろん本国韓国でもそんな彼の魅力は大人気で、チャ・インピョシンドロームを引き起こし、デビューしてから1年ほど、たいした注目も浴びていなかった彼はこのドラマで一気にスターダムに躍り出た。

しかし、こんなにかっこいいのに、すんなりと俳優になれたわけではなかったようだ。

俳優を志したのは中学生の頃、『ET』を見て感動したのがきっかけ。学生時代をアメリカのニュージャージー州立大学で過ごし、帰国してから本格的に俳優を目指し始めた。何とか芸能関係者の目に留まろうと、お茶を飲むのでも映画関係者が多く集う場所に行ってスカウトされるのを待ったり、直接写真を持って売り込みに行ったりという日々が続くが、KBSや、SBSのタレント採用オーディションにも落ちた。やっと受かったMBCテレビでも1年ほどは端役ばかりでぱっとしなかった。しかし、オーディションを通してキャスティングされた『オールマイラブフォーユー』が人生を変えた。俳優としての知名度が大きくアップしただけでなく、このドラマで共演したタレントのシン・エラと翌年には結婚し、更なる話題を振りまいたのだ。ドラマの中でも、イ・スンヨン演じる過去の恋人に別れを告げ、シン・エラ扮するデパートガールと恋に落ちるという設定だったから、そのままになってしまったわけだ。しかし、この人生の絶頂期に何と彼は兵役に行ってしまったのである。

韓国男児の義務とはいえ、つらい。入隊中も軍隊ドラマ『申告します』『男を作る』や、軍の広報映画『アルバトロス』などに出演するが、やはり2年以上も留守したのは痛かった。兵役終了後、彼をスターに押し上げた『オールマイラブフォーユー』のプロデューサーの下、チャ・インピョ復帰作という触れ込みで『星に願いを』に出演するが、作品はヒットしたものの皮肉なことに3番目にクレジットされていたアン・ジェウクに人気を持っていかれてしまった。おまけに、演じた役柄も大企業の御曹司という『オール…』の時と似通った設定だったため「3年間冷凍になったがそのまま解凍された」と評されるほど新鮮味が無く、演技力不足も指摘されてしまう。

しかし、チャ・インピョは非難を黙々と受け入れ努力した。『英雄反乱』で王子イメージをぬぐい去り、1997年の『君と僕』ではきれいな顔を武器に金持ち女を引っかけ玉の輿をねらうしょうもない男の役で完全にイメージチェンジを果たした。視聴率60%を越す大ヒットとなったこのドラマで人間味溢れるキャラクターを演じたチャ・インピョは再び注目を浴び、演技力も認められるようになる。決して順風満帆で来たわけでない彼の俳優人生もこれで一過性ではない人気が定着した。このあとは子供を作りたいからとドラマ出演を休んで活動を映画だけに絞り、その甲斐あって1998年の暮れには見事男の子が誕生した。こういうところがなんかとっても計画的な人だ。1999年の『ワンチョ』では、韓国に実在する、物乞い集団のボスとして激動の時代を生き抜き晩年は孤児や貧しい人のために尽力した庶民の英雄、キム・チュンサムを演じMBC演技大賞の男子優秀賞を授賞。授賞のスピーチでは「この喜びを愛する妻と息子と分け合いたいです」とラブラブな挨拶をしていた。どんなにごろつきを演じようと、本質はとことん紳士なのだ。最新作は2000年の1月から始まった『花火』。6年間専属で出演していたMBCを離れ、初めてSBSのドラマに登板した。『青春の罠』などで知られる脚本家キム・スヒョンの書くメロドラマで、再び金持ちの紳士役でお目見えしている。

映画界への進出は1998年から。兵役中の96年に軍の広報映画『アルバトロス』に出演はしているが、これはあくまでも軍の命令でのこと。自分の意志で出たいわゆる商業映画デビュー作は98年の『ジャン』ということになる。この作品では高校の問題児クラスの生徒達を持ち前の明るさと包容力でひっぱていく音楽教師を演じ、キーボード演奏や、ラップなども披露した。1999年にはメディカルミステリーの『ドクターK』で、神秘的な能力を持った医者を演じた。チャ・インピョ自身、役柄や設定が気に入って是非ともやりたいと希望した作品だったそうだ。しかしながら、この『ドクターK』、手術技術が優れているブラックジャックのような一癖も二癖もある名医なのかと思ったら、何のことはないいざというときは超能力を使うのだった。その能力を使ってるときの「いっちゃった目」がちょっと怖かった…。

 

※2001年6月発刊「韓国はドラマチック」(東洋経済新報社)より
記事の転載はご遠慮ください

 

コラム②チャ・インピョ  韓国一正しい男

司会者として、ライターとして、数々のファンミに接してきた。

そのつど、受けが良かった企画もあれば、今ひとつのものもあって、自分が司会をするイベントであっても、すでに出来上がっている台本にそこまで口出しするわけにはいかないので、もう少しこうすれば面白くなりそうなのにな……と、正直、歯がゆい思いを感じたこともあった。

そんなあれこれの経験や、これまで多くのファンから聞いてきた意見を取り入れた、「これぞファンミ!」というものを企画から作りあげたいという思いが膨らんでいった。

白羽の矢を立てたスターは、チャ・インピョ。

報道で見聞きする彼の人となりはすばらしいものだったし、衛星劇場で放送されたドラマ『火花』(00年)で、彼への人気が高まっていた。

そして何よりも、彼は、私の韓流の扉を開いてくれた人だった。

というのも、初めて見た韓国ドラマの主演が彼だったのだ。涼しげな顔のかっこいい人がいるんだなあという第一印象で、ドラマを見る意欲がわいた。

だからチャ・インピョがいたからこそ、いまの私がいるという格別の思い入れがあった。

お招きするところから、ファンミの中身のアイデア・構成にいたるまで、このときは全面的に深く関わったのだが、見に来てくれた方々が皆「本当に楽しかった!」と言ってくれてホッとした。

これはひとえにチャ・インピョの人柄だ。

ファンミはいくらこちらが彼のよさを引き出すべくいろいろ企画しても、本人がそれに応えてくれなくてはいかんともしがたい。その点チャ・インピョはファンミにとても協力的で、とにかく気持ちがよくて、面白い方だった。

ちょうど最新作映画『韓半島』(06年)のプロモーション時期と重なっていてとても忙しい最中だったのだが、このファンミのために自腹で音楽監督を雇い、スタジオを借りて歌のレッスンをしたり、とにかく、日本のファンに何か特別なものをお見せしなくてはという気持ちで臨んでくれた。

空港でも、「出迎えてくれるファンひとりひとりと握手したいからガードをつけないでください」と事前に言われていて、ファンもそんなことをしてくれるとは思っていなかったので「えーっ!? やさしいー」との声がアチコチから飛んでいた。とてもアットホームなお出迎えシーンだった。

彼は、決して堅苦しい人ではなく、ひょうひょうとしているのだが、行動に心根の美しさがすべて表れていた。

イベント本番では、ざっくばらんで彼の人間性がきちんと出た赤裸々トークが展開され、お客さんも大ウケ! 歌も正直上手いというわけではなかったが、楽しそうに歌ってくれたのがお客さんに伝わった。

会場の中には「大ファンです!」という方ばかりではなく、正直「いったいどういう人なのか見てみたい」という気持ちで来ていた人もいたと思うが、帰るときには、そのあまりにも素敵な人間性に、みんなが彼のファンになっていた。

チャ・インピョは、奥さんである女優シン・エラから、「日本にファンはいるの?」と言われていたのだそうだ。自分でも、まだ日本でそれほど知られていないということは悟っていたので、この熱い反応はとてもうれしかったようだ。

ところで、記者会見でとても印象に残った彼の言葉がある。

「四〇歳になる自分にとって、演技より家族より、何より大事と考えるのは‘統一’です。自分が死ぬ前に国を統一させ、その統一した国を息子に渡したいのです」

実は彼、『韓半島』のような作品に出ていることなどもあって、実際に反日の人ではないかと言われていた。でもこの言葉を聞いて、彼はすごい愛国者なだけなのだと思った。

それもあって、打ち上げの席で「日本のことをどう思っているのか、実は心配だったんです」と聞いたところ、

「好きですよ、何度も来ているし、親戚もいますしね。でも、僕がそういうふうに思われていることはわかっています」

と、ぽそっとつぶやくように言い、それがなんだかせつなかった。

日本や、日本のファンに対して誠意の限りを尽くしているのに、あえて弁明ができない立場なのだなと。

このファンミ大成功を喜ぶと同時に、彼が寂しくつぶやかなくてもいいような日韓関係になれることを強く願ったのであった。

 

2009年1月発行「恋する韓流」(朝日新聞出版)より
※記事の転載はご遠慮ください

略 歴

1967年生まれ。アメリカの大学を卒業し、サラリーマンとして働いていましたが、韓国に帰国して、1993年、MBC放送局のタレントオーディションに合格。94年のドラマ『愛をあなたの胸に』で、留学帰りの大手デパートの御曹子を演じて、端正な顔立ちの貴公子ぶりでチャ・インピョシンドロームを起こすほどブレイクしました。そしてそのドラマで共演した女優シン・エラと結婚して話題を振りまきました。
軍隊に行って戻ってきた復帰作の『星に願いを』を経て、97年の『あなた、そして私』では、プレイボーイ役にイメージチェンジするなど役の幅を広げ、一過性でない人気を定着させました。ドラマ『火花』の影響で中華圏での人気が高く、元祖韓流スターとして中国のドラマにも出演しています。
映画デビューは98年の『ジャン』で問題児クラスの担任役を演じました。その後『ドクターK』『アイアンパーム』『ボリウルの夏』といった映画に出演していますが、映画での初のヒット作が2004年の『木浦は港だ』でした。最新作は、『シルミド』で知られる韓国のヒットメーカーカン・ウソク監督の大作映画『韓半島』で、歴史調査員を演じています。
韓国では「規則正しく生活する男」といわれているそうで、また芸能界きってのおしどり夫婦としても知られています。昨年は夫婦で養女を迎えたり、発展途上国の子供たちを救う活動に積極的に参加したりとボランティア意識が非常に高い人です。(2006年7月)