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チョン・ウソン

韓国映画界の若きカリスマ、チョン・ウソン。その存在を初めて知ったのは、日本で劇場公開された『KUMIHO―千年愛―』を見たときだった。チョン・ウソンはこの作品が俳優デビューだった。

「なんだ韓国映画界にもかっこいい人がいるんだ」と認識を新たにした。

それ以降も、そういえばあの俳優さんどんな活動しているのかなあと思っていたら香港映画の『上海グランド』で、レスリーや、アンディの共演者として登場してきて嬉しい再会をした。

俳優デビューの前はモデルをしていたが、チョン・ウソンの当初からの夢は俳優で、中学時代にいろんな映画を見てはあこがれていたそうだ。

高校1年の時には学校では学ぶ物は無いと判断し、自主退学するということをやってのける。日本以上にすごい学歴社会で、タレントといえどもなにがしかの学歴が非常に大切な飾りとなる韓国社会にあって何とも大胆な行動をとったものだ。そして何が何でも俳優になるという強い意志のもとテレビ局のタレント採用オーディションを受けたり、モデルエージェントを訪ね歩いては道を模索したのだという。

彼のそういう社会の枠にはめられることを嫌う反抗心や気骨が、「孤独で自己を模索する青春」を体現するのにぴったりだったのだろう。

『KUMIHO-千年愛―』以後の作品を見ると、『ボーン・トゥ・キル』では悲劇的な最期を遂げる孤独な殺し屋を、『ビート』では社会に適応しきれない10代の若者を演じカリスマを持った青春映画のスターとなった。この辺は、香港映画でひと頃のアンディ・ラウが得意としていた役どころで、私は秘かにチョン・ウソンは韓国のアンディ・ラウだと思っている。

その後、クリストファードイルにどんな風に撮ってもらえるのか興味があったということでノーギャラで出演した『モーテルカクタス』を経て、1998年には、『ビート』のキム・ソンス監督と再び組んだ作品『太陽はない』でパンチドランカーの3流ボクサーになった。きれいな顔にパンチをボコボコに打ち込まれながらの熱演を披露し(実際に強いパンチを浴びてダウンすることもあったそうだ)、今度はなかなか上手くいかない20代の青春を見せてくれた。何となく北野武監督の『キッズリターン』を思わせるラストに余韻が残る。イ・ジョンジェと2人、いい男が並んで出てくるこの映画はミーハー的見地からしてもかなり嬉しい。

将来映画監督を目指してシナリオも書きためているという彼は、キム監督の編集作業にも立ち会ったそうだ。

1999年の『ユリョン』あたりから、それまでの青春物とは少し毛色の違った役柄にチャレンジするようになる。

韓国初の潜水艦映画『ユリョン』では海軍の真っ白い制服姿がチョン・ウソンの格好良さをいっそう引き立たせている。考えてみればそれまではアウトロー的な役柄ばかりでびしっと決めた姿を見たことがなかったので新鮮だった。

『ラブ』の挫折感を抱えたマラソン選手もすごい自然な感じでよかった。

テレビには『アスファルトの男』や、その後も『1、5』などに出たが、これでお茶の間の認知度を高めたあとは、ひたすら映画にこだわり続けている。

ところで、彼は実物がとてもいい。画面上でも十分かっこいいが、186センチの長身にフォトジェニックな笑顔で微笑まれると、ひざが砕けそうなほど素敵だった。

人間的にも素晴らしく、周囲への気配りも自然にできる人である。女性からは「キャー!」と黄色い声が飛び、男性からは憧れられる存在。男が惚れる男なのである。

※2004年7月発刊「韓国はドラマチック2」(東洋経済新報社)より
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