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チュ・ジフン

チュ・ジフン   マイペースなお茶目 

私の大好きな、‘孤独な貴公子’とは、影を背負い、強がっていながらもどこか寂しげで、全体に硬質な雰囲気をかもし出している気品のある男性のことをいう。

中でも『宮~Love in palace』(06年)の皇太子シンはまさにツボだった。
ツンデレというか、ほとんどデレデレはせず、ツンツンでいながら、時折弱さを見せる。鋼鉄のようなガードに覆われ、あえて外に出ようとせずに必死で固く凍っている人が、ふと緩んで、純粋な部分が垣間見える瞬間が不憫を誘い、すごくよかった。
そんな思いを抱いていたときにチュ・ジフンの日本ファンミの司会をすることになった。一体どんな人なんだろう、と思って仕事に臨んだのだが、実際のチュ・ジフンは、皇太子シンとも、また『魔王』(07年)のオ・スンハのイメージとも異なり、礼儀正しい好青年で、黙って座っていると落ち着いて見えるけれど、挨拶したときの感じは笑顔が優しげなあどけない少年のように感じられた。
舞台の上でも下でも変わらない、いつもフラットな人という印象で、マイペースだなあと感じた。自分がどう思われているとか周りがどう動いているとかをあまり気にしない。
周りの空気を読むのに敏感になるよりも、自分流を大事にする感じ。
だから、時にそれが天然キャラとして人の目に映るのだろう。
この最初のファンミ、すでにファンのあいだではチケット争奪の熱いバトルが繰り広げられるほど人気が沸騰していたのに、そんなこと本人はどこ吹く風というか、まったくその状況を知らされていないのか、日本に到着したとたん、マネージャーと一緒に「僕たちこれから自分たちでタクシー乗って買い物に行きます」と言い出したそうだ。
なんとも無防備な反応ではないか。普通イベントで来日した韓流スターはベンツなどの高級車でのお出迎えを好むのに、自分が日本でもすでに大人気スターという事実をわかっていないような言動だったという。


ところで、チュ・ジフンの特徴は、質問すると過不足なくコンパクトにパシッと答えてくるので、実はトーク的には突っ込みにくい。
しかも早口なので、時としてストンストンと、あっさり、さっぱり話が進んでいってしまいがちだ。
最初のファンミでこれが自分としての反省点だったので、その七カ月後に行われたファンミでは、なるべくしつこいくらいに突っ込みながら話を進めていくように気をつけた。
そうして見えてきたことは、彼は率直で、自分の気持ちを厳密に伝えようとする人なんだなということだった。
その場の雰囲気で適当に話をあわせたり、受けを狙って面白おかしく言ったりはしない。「状況によって違うので、そう思えるときもあるし、そうじゃないときもあります」という感じで、決して大雑把に答えない。生真面目で正直。
時には、「ウッ」っと答えにつまったり、真剣に考え込んでしまったりして。そんなところに真実味が感じられる。

クレバーでシャープさも持ち合わせながら時おり天然なので、そのギャップがまた面白い。真面目に答えているんだろうけど、よく考えるとなんだかおかしい……みたいな。
急に「僕はジャイアントパンダのようにじっと家にいます」と言うので、通訳さんも意外な単語が出てきたので一瞬「えっ?」となっていた。
私もなぜ急にジャイアントパンダ?と思ったが、そんなたとえ方も面白い。
ステージ上で自分の公式ファンサイトにログインを失敗してしまったり、ファンからの気に入ったメッセージを読み上げるところでも、たくさんある中から目ざとく間違いを探し当て、「これハングルが違います」と鋭く指摘したり。
ピアノ演奏も、リハーサルの音合わせのときに「このピアノは鍵盤が重い」という事実に焦ったようで、「練習したい」と言い出し、私たちがステージで他のリハーサルに移っているときも、ずっ~とポロンポロンと弾いていた。
スターが舞台袖の隅っこで、ほぼ放っておかれながら一生懸命に練習している姿というのは、もうそれ自体がお茶目だった。


しかし、作品で見せる顔は、とても素が天然だとは感じさせない。『宮』『魔王』での硬さのある人物もよかったが、映画『西洋骨董洋菓子店~アンティーク』では、適度なやさぐれ感とダンディズムが同居していて、軽妙さも、いけしゃあしゃあとしたところも見せていて、これも実に魅力的だった。
若いながらもいろんな可能性を感じさせる人だなあと、“演技者”チュ・ジフンへの期待はおのずと高くなるのである。

2009年1月発行「恋する韓流」より(朝日新聞出版)
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