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映画&ドラマで見るドラマチック韓国

①結婚に反対する母親のすさまじさ

東洋経済新報社「韓国はドラマチック」(2003年7月発行)の記事より5回に分けて掲載します。東洋経済新報社の許可を得て載せています。転載禁止。

外国の映画やドラマを見る楽しみのひとつに異文化発見がある。

特に韓国人は、日本人と同じような顔をしているのに、やること、しゃべることに結構な違いがあって、韓国独特の文化や習慣などが垣間見えて面白い。

ドラマは作り事だから、多少大げさには描いているだろう。だからすべてを鵜呑みにはできないが、それでも、その作品が作られた当時の社会背景や、韓国人の考え方を反映していることは確かである。

韓国の映画やドラマなどを見ていて感じた、あんな事こんな事を、作品に出てくる描写や具体的なセリフの応酬などを例に挙げて紹介してみたい。

 

結婚に反対する母親のすさまじさ

日本は総中流という意識下で生活しているが、韓国は、その点では貧富の差が激しい国である。

ドラマを見ていると、ものすごい豪邸に住んでいる財閥の御曹司やお嬢様たちが出てくるかと思えば、長屋のような家や、中には鍵もついてなさそうなボロ屋に住んでいる人たちも登場する。

そしてドラマ上では、たいていそんな身分違いの男女が恋をすることになっているので、結婚となると、必ず親が反対する場面が出てくる。

大きな身分差まで行かなくとも、学歴や職業、年齢や境遇が気に入らないと言うことでも激しく反対される。この反対ぶりは「ここまで反対するか」というぐらいものすごい。

『キツネと綿菓子』というホームドラマでは、まず中心人物となる主人公のふたりの男女が反対された。漢方医を目指している24歳の若い娘に対し、相手の男が特に裕福でもない36歳の広告マンだということで、まずは女性側の親がその年齢差に大反対。

「12歳も年上なんて気持ち悪い」「なんでそんな老いぼれと」とさんざん非難して相手に会うことすら拒否するのだ。

その後、相手の男の母親と、女性側の母親同士が昔、ひとりの男を取り合ったという因縁の間柄だったということもわかり、ますます許せないという状況になった。

ここで女性側の母親は、いうことを聞かない娘を部屋に閉じ込めるという強硬手段に出たが、結局娘は2階の窓から抜け出し、裸足で家を飛び出して恋人に会いに行くのだ。

最後は親が折れてめでたく結婚にこぎつける。

このドラマのサブストーリーに、広告マンの男の妹のインハ(キム・ジョンラン扮)という女性と、彼女の幼なじみで、最近になって再会し愛が芽生えたカン・スギョ(キム・スンス扮)という男性とのラブストーリーがあった。

この結婚の反対のされ方が、またすさまじかった。実はインハは一度結婚しているが、夫に先立たれた未亡人だったのだ。こんな娘のことを、実の親も「インハは傷ものだから」といって不憫に思っているが、スギョの母もやはり早くに夫を亡くして女手ひとつでひとり息子を育ててきたという立場の人だった。

スギョの母は保険会社の社長で、インハはそこで働いていた。同じ立場だけに、なにかとインハに目をかけていたのに、息子の恋人だと知ると手のひらを返したようにインハと息子を別れさせようとする。そんなスギョの母に許してもらおうとインハが直接会って話をする場面がこれだ。

インハ「お義母さんが反対する理由よくわかってます。同じ境遇に置かれているので、それがスギョさんを不幸にすると心配していることわかってます」

スギョ母「疫病神を背負ってる女は、また夫を食い殺すものなの。だから息子に手を出すのは不吉で嫌なの」

インハ「こんな人生から脱皮したいんです。私も幸せになりたいんです」

スギョ母「なんで息子が犠牲になるの?」

インハ「認めて下さい」

スギョ母「できない」

インハ「私に一度だけチャンスを下さい」

スギョ母「しつこすぎるの本当に嫌よ」

インハ「スギョさんのいない人生生きていく自信がありません。離したくないです。がんばりますから、不幸にしませんから。お義母さんにもよくして、子供も生んで……」

スギョ母「黙りなさい」

インハ「スギョさんを離したくありません」

スギョ母「あの子のために死ねる?」

インハ「はい」

スギョ母「じゃあひとりで死んで」

インハ「私が死ねば許していただけるんですか」

スギョ母「狂ってるわ」

こうして、何をいおうが、拒絶一点張りだった。

『愛の群像』は、大学の臨時教師になった30歳の女性、シニョン(キム・ヘス扮)と、幼い頃に母親に捨てられたトラウマから愛を信じず、金持ちの女をひっかけ野望をかなえることを目標に生きている男カン・ジェホ(ペ・ヨンジュン扮)の、愛とは何か、幸せとは何かを問うた作品。

野望ギラギラ男のジェホがシニョンとの真の愛に目覚めてそれを貫いていこうとするが、ジェホは親がなく、水産物の仲買人をしながら大学に通っている27歳。やはりここでシニョンの親の反対にあう。

最初事情を知らせず引き合わせたときには、母は、「年下に見えないわね、男らしくて」と好感を持っていたのに、いざ親がいないとわかると、豹変する。

母「どうかしてるわ。あんな素性もわからない人を」

シニョン「いい人よ。誠実だし、私が愛してる人よ」

母「愛してる? 愛しちゃだめ。あんな子のどこを愛してるの」

シニョン「お母さん、両親がいないこと知る前までは気に入ってたじゃない。それなのにその一言で顔色変えて。両親がいないのあの人のせいじゃないでしょ」

母「彼のせいじゃないけど、それがあの子の運命ならあまりいい運命じゃないね。見回せば運命のいい人が山のようにいるのにどうしてあんな子と付き合うの、何が悲しくて。お母さんがだめっていったらだめよ、世の中の人みんながだめっていうわ」

父親もジェホに会ってみて、男としての好感は持つものの、やはり条件が気に入らず、別れた後で、「まったく、両親さえいればよかったのに……」とつぶやく。

このドラマでも、シニョンの両親は娘をジェホに会わせないように、シニョンを部屋に軟禁する。まだ道理のわからない10代の娘ならまだわかるが、シニョンは30歳である。

そんないい年をした大人を閉じ込めてどうにかさせようという手段が韓国ドラマではまま見られるから驚きだ。

また、この会話にもあるように、韓国ではよく「運命(=パルチャ)」という言葉が出てくる。

「パルチャ」は、漢字で書くと「八字」。生まれた年月日、時間の四柱によって決まるという、その人の持って生まれた運、星回りのことだ。

孤児なのも、男運が悪いのも、すべてはその人の運命が悪いためという考え方をされるとなんだか救われない気がするが、かわいい自分の子供の結婚相手となると、その人の運命の善し悪しまで重要なポイントになってくるのが韓国だ。

反対する親がいれば、反対されたほうの親も黙ってはいない。自分の子供が侮辱されたら敢然と言い返す。

『恋するツキノワグマ』は、しがないサッカーの臨時コーチ、ダルン(キム・グッチン扮)と、親の期待を一身に背負っているいいところのお嬢様(ソン・ユナ扮)の恋物語。

お嬢様にはエリートの婚約者がいるが、のんびり屋で純粋なお嬢様は、臨時コーチのダルンの誠実な気持ちにほだされていく。しかし、お嬢様の親はもちろん大反対。

それでもふたりは結婚式の当日に駆け落ちして、貧乏なダルンの家で一緒に暮らし始める。そこにお嬢様の母親が乗り込んできてダルンの母と言い合いになる。

ダルン母「なぜそこまでするのよ。うちの息子がそんなに気に入らない?」

お嬢様母「ええ、気に入らないわ。いわないとわからない?」

ダルン母「どこがそんなに気に入らないの」

お嬢様母「何一つとりえもないでしょ」

ダルン母「何だと、黙って聞いてりゃ人を怒らせたね」

お嬢様母「怒りたいのはこっちよ。大事に育てた娘をその日暮らしの人に……」

ダルン母「何ですって、その日暮らし?」

お嬢様母「違います?」

ダルン母「なんて口のきき方だ。人生の面白さがわかっていないようだけど、ちやほやされるだけが幸せじゃないよ。このバカ奥さんが。娘さんはその日暮らしの息子に出会えて幸せさ。今に見てなさい、私に礼をいう日が来るさ。まったく世間知らずは娘よりも母親だね。おっぱい飲んで出直して来な」

母は強し。貧乏だろうが、相手の格に釣り合わなかろうが、そんなことでひるまないのだ。

 

参照作品

『キツネと綿菓子』
2001年 MBC
PD=チョン・イン 脚本=キム・ボヨン 出演=ユ・ジュンサン、ソ・ユジン、コ・ドゥシム、イ・ヨンハ
韓国お得意の大家族ドラマ。父親が絶対と言う超保守的な一家の息子と、女性の発言権のほうが強そうな家庭の娘の恋で始まる騒動の数々をコミカルに描いている。韓国の日常生活に根付いた習慣や考え方などを知るにはこの手のファミリードラマがもってこい。

『愛の群像』
1999年 MBC
PD=パク・ジョン 脚本=ノ・ヒギョン    出演=ペ・ヨンジュン、キム・ヘス、ユン・ソナ、イ・ジェリョン
愛なんて信じないといいながらも誰よりも愛を求めていた男カン・ジェホが、真の愛にめぐり合い、苦悩しながらも精一杯に生きた姿を描いた感動の物語。人が人に惹かれていくこと、人の優しさ、だめとわかっても愛を捨てられない人間の悲しさ、そうしたすべてが語られている。特にラストシーンは感涙の一言。一押しの名場面になっている。

『恋するツキノワグマ』
2001年 MBC
PD=キム・ナムウォン 脚本=チョン・ユギョン 出演=キム・グッチン、ソン・ユナ
いいところのお嬢様と、実直で誠実だが、しがない臨時サッカーコーチの男との恋物語。一見いいところなしの男がエピソードを重ねていくにつれ、どんどん人間的に素敵に見えてきて、終いには周囲を認めさせるという大団円。極端な展開もなく、誰も悪い人が出てこない、安心して見られるほのぼのしたドラマ。