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映画&ドラマで見るドラマチック韓国

㉒よく出てくる言葉、挨拶、しぐさ

東洋経済新報社「韓国はドラマチック」(2003年7月発行)

ドラマや芸能情報番組などを見ていて何度も何度も耳にする頻出単語は、「愛してる」「自尊心」「欲」「目の光」だろうか。

韓国人は自尊心がとても高い国民だから、セリフの中に「お前に自尊心はないのか!」とか、「自尊心を捨ててまでお願いしたのに・・・」とか、何か大事な局面に接すると特によく出てくる。とにかく、自尊心が傷つけられることをなによりも嫌うのである。

そして韓国人は「好きだ」と言う表現より「愛してる」という言葉を口にする。歌の歌詞でも最多頻出単語だろう。ドラマの中のセリフで在日韓国人の男性が、「韓国人は愛、愛って単純すぎるよ。韓国人は愛や三角関係がとても好きだろ。男女の関係はそれしかないのか」と言う場面があったが、私もまったくその通りと大きくうなずいてしまった。

しかし、そういうだけあって韓国の人は愛を語るのがうまい。韓国のメロドラマでは、愛に真正面からぶつかって、真摯に取り組んでいるものが多い。

人を真剣に愛するということはどういうことなのか、見終わった後に「愛とは……、人生とは……」といつも深く考えさせられるのだ。

たいていは16話以上あるので、主人公たちをはじめ、その周囲の人たちの気持ちまでが丁寧に描かれるので、さまざまな立場の人たちの切なさにまで思いが及ぶ。

「不倫ドラマも時代とともに様変わり」の項でも取り上げたが、ドラマ『青い霧』は、46歳の大企業の社長、ソンジェ(イ・ギョンヨン扮)が23歳のスポーツクラブのダンス講師、シンウ(イ・ヨウォン扮)と恋に落ち、地位も名誉も家庭もすべてを捨てる物語。

恋に走る途中で家庭崩壊を心配するソンジェの先輩がソンジェを諭す。
「君は深い霧の中で道に迷っただけなんだ。霧の中で幻を見たんだ。霧は必ず晴れるものだぞ」

それでもソンジェは、
「これがもし愛というものなら生まれて初めての経験です。世界中に非難されても彼女に会う喜びには比べられません。この年で誰かを愛せることが苦痛でもありますが、祝福にも思えます」
と答えるのだった。

家を出、社長も辞め、ワンルームの部屋を借りてひとりで暮らし始めるソンジェ。密かにシンウが来てくれることを期待しているが、シンウもさまざまな事情に阻まれて愛が貫けない。

出会った頃は自分の意思を堂々とぶつけてきた若いシンウも、愛を知り、周囲の苦しみを理解するようになって、自分を抑えていく。そんなシンウを慮って別れてあげようとするソンジェ。離婚後もシンウと一緒にならずにひとりを通すソンジェに別れた妻は問う。
妻「あの子のいない世界は生きられないんじゃなかったの?」

ソンジェ「彼女を俺のそばに留めておくのは利己心で、愛という名の横暴だと考えたからだ」
最後まで心を押し殺してシンウをアメリカに旅立たせてやる。

シンウのそばにはシンウのことを愛している男友だち(キム・テウ扮)がいるのだが、彼は何度プロポーズしてもシンウに拒否され、それでも、不倫にのめりこんでいくシンウを放っておけず、見守り続けてきた。愛を軽く考えるような遊び人だったのに、シンウの愛をそばで見続けるうちに人間的に成長し、最終回でシンウにいう。

「お前に大切なことを教わった。”愛と配慮“だ。人を愛することは苦しみもあるんだということ、本当に誰かを愛したら骨の髄まで痛くなることを初めて知った。お前の愛が、まじめに生きたことのなかった俺に考えることを教えてくれた。……」

まさに視聴者である私たちも、ドラマを通してシンウとソンジェの愛を見ていくと、このような気持ちになるのだ。

そしてドラマの中の多くの人が自分の愛を見つけたら決してあきらめない。主人公だけでなく、助演者もそうなので、それが往々にして主人公たちの恋路を邪魔することになるのだが……。それでよく周りの人から、「それは愛ではなくて執着よ」といわれてしまったりもする。愛と執着は紙一重なわけだ。

そして「欲」という言葉に代表されるように、成功に対する欲がすごく大きいと思う。ドラマで野心ギラギラ、玉の輿願望の人物が多く出てくるのもそのせいだろう。ほどほどに自分の好きなことをやって生きていければいいというような人物像はあまり見られない。

韓国では貧富の差が大きく、しかも貧しい階層が多いため、成功していい暮らしをしてやるというハングリー精神が強い。

あまりに欲が強すぎて、悪どいことに走ったりもするが、あまりにその気持ちが切実で一生懸命なので、最初は嫌な奴と思っていても、終いには、「わかったよ、そんなに成功したいならしなよ」という気持ちになる。

そして「目の光」はよく芸能人をほめるときに使われる。韓国では力の入った演技が要求される、というか、好まれる。

感情表現が激しいからだろうか。だからこそ眼力は大切なポイントで、決めのポーズも斜め下から上に向かってにらみつけるような鋭いまなざしに「キャーッ」と黄色い声が飛ぶ。
この目線にしびれるというわけだ。日本のように「流し目」のような艶っぽいまなざしで決めているのをあまり見たことがないので、そういう習慣がないのかもしれない。

挨拶では、よく「パンモゴッソヨ?(=ご飯食べましたか?)」「シクサハショッソヨ(=食事されましたか?)」と聞いてくる。昼時や夕食時間にいわれるのならわかるが、ぜんぜん関係ない時間でもこう聞かれることがある。

例えば、午後9時ぐらいに「ご飯食べた?」と聞かれて、普通食べ終わっている時間なので、「食べた」というと、「そう」といってすぐ本題に移る。

ここで「食べてない」と答えても別に食事に誘うわけでもなく、「そうなんだ」で終わってしまうし、じゃあどんなつもりで聞いてるんだろう?と最初は戸惑ったものだ。

でもこれが普通の挨拶なのだ。『あなたそして私』でも、軍隊に行っている弟が休暇中にソウルにいる兄を訪ねていくシーンがあった。このとき、兄は弟を見るなり、「ご飯食べたか?」というのだが、弟は、「最近飢えてる人いないよ。戦時中の挨拶するなよ」と答えていた。

そうか、これは食物資の乏しかった戦争中の挨拶から来ていたのだ。そういえば中国でも「吃飯了没有?」と、これもやはり「ご飯食べたか?」が顔を合わせたときの一般的な挨拶になっている。

韓国人も中国人も食事をなによりも大切にする国民だから無理もない。

日本では挨拶といえば「いいお天気ですね」と天候の話題から入るが、これも別に天気がすごく気になるわけでもないのに慣習としてなんとなく天気の話題から始めると進みがスムーズということがある。日本人にとっての天気の話題が韓国人にとってのご飯の話題に当たるのだろう。

さて、ドラマを見ていて日本と同じようなしぐさに出会うと「同じことするんだなあ」と親近感を持つが、大まかには同じなのに微妙なところが違っていて気になることもある。

例えば、指きりだ。「指きり」は韓国でも小指と小指を絡める。だが、その次に小指を絡めたまま、親指と親指を合わせるというのが韓国式の指きりだ。

これはいつの頃からか、約束したことに”判子“を押したという意味で行われているのだという。だから本当に破ってはいけない重要な約束なんだよということを示しているそうだ。
最近はさらに進んで、親指を合わせた後、お互いの手のひらと手のひらを滑らせてその約束を”コピー“をするケースも見られる。

韓国では、体をどこかにぶつけたり、足が痺れてしまったときなど、つばを鼻の頭に3回つける。こうすると痺れや痛みが早くとれると信じられているおまじないのようなものだ。これは1960年代の映画でもやはりこのおまじないをしていたので、歴史は古いのだ。