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ついついハマってしまう身分違いの恋物語

※2003年7月発刊「韓国はドラマチック」(東洋経済新報社)より。

韓国ドラマの題材としてよく登場するのが、シンデレラストーリー。ほとんどの場合、ヒロインは、家が貧しいか、孤児という境遇におかれ、それにもめげずにけなげにがんばる芯の強い女性が、財閥などの大金持ちの息子と出会い、最初は金持ちということに反発を感じながらも、次第に相手の人間性を好きになり困難を乗り越え結ばれるのだ。

1994年の『オールマイラブフォーユー』(MBC)では、大手デパートの御曹司が貧しいデパートガールと恋に落ちていたし、1997年の『星に願いを』(MBC)では孤児院育ちのヒロインが、引き取られた家でのいじめに耐えながらもデザイナーとして頭角を現し、権力者である父親の反対をはねのけて歌手になる男性と最後は結ばれた。

まさに現代版シンデレラだが、『星に願いを』は、日本の漫画『キャンディキャンディ』が元ネタになっているらしい。主人公の孤児のヒロイン、ヨニ(チェ・ジンシル)がキャンデイで、ヨニと恋に落ちる歌手のミン(アン・ジェウク)がテリウス、そしてミンの友人でヨニの才能を見抜き、ミンとの恋も温かい目で応援するジュンヒ(チャ・インピョ)がアルバート大おじさまということになる。

アン・ジェウクなどはこのドラマでのイメージが強くて、ドラマが終わって数年経っても、枕詞のように名前の前に「テリウス」を付けてテリウス・アン・ジェウクと呼ばれるほどだ。

このドラマは当初、当時大人気だったチャ・インピョが兵役から復帰しての最初の作品ということで注目されていたのだが、蓋を開けてみれば、3番目にクレジットされていたアン・ジェウクに人気を持っていかれてしまった。

そして、ヒロインが一体この2人のどちらと上手くいくのかが大いに話題となり、多くの視聴者がラストでチェ・ジンシルとアン・ジェウクが結ばれることになってほっとしたという。

ジュンヒの暮らす部屋は、それはそれは広くて豪華。ミンの実家も豪邸だし、あこがれの韓国の大金持ちの生活がかいま見られる。しかし、これも度が過ぎると貧富の差を見せつけすぎて違和感を助長することにもなりかねないと放送委員会から警告を受けたといういわく付き。

ファッション、テーマ曲ともにおしゃれに構成された韓国版トレンディードラマだけあって、韓国ではもちろん、アジア各国でも放送され大人気を博し、主演のアン・ジェウク人気は各国でうなぎのぼりとなっている。

2000年のミレニアムのトップを切って放送された『真実』(MBC)も、大財閥の御曹司が議員の運転手の娘と恋に落ちる設定だ。

だが、これにはシンデレラストーリーと並行して、主人公の貧しい娘ジャヨン(チェ・ジウ)が、一家で世話になっている議員の娘シンイ(パク・ソニョン)の身代わり受験を引き受けざるを得なかったり、財閥の子息ヒョヌ(リュ・シウォン)と様々な困難の後に結ばれそうになったところで、シンイや、議員の父の策略で交通事故の容疑者にすり替えられたりして、「それらの真実が明らかにされるときはくるのか?」というミステリー性も加えられ、従来のシンデレラストーリーとはまたひと味違った趣があった。

しかし、こと恋の部分に話を絞ると、シンデレラストーリーの恋人たちは、いずれの場合も、周囲から「身分が釣り合わない」などと様々な反対に遭いながらも愛を育てていくのだが、ここに金と権力を鼻にかけたイヤーな女が出てきて、ヒロインの恋路のじゃまをするというのがだいたいのパターンである。

 

貧富の差が激しい韓国社会

韓国は、日本よりも貧富の差が激しい。友人の韓国人Aさんの体験談だが、小学生の時、やたらと財閥の子女が多い学校だったために、とにかく華々しかったという。持っているものはいいものばかりで、家に遊びに行くと、すごーい豪邸でお手伝いさんが何人もいたそうだ。

しかし先生を先生とも思わぬ態度の悪さと、「お前、代わりに算数の問題解いてくれたらこれやるよ」と、8歳ぐらいですでに物で片を付けようというその根性に接し、幼ごころにも、「大金持ちの子供にろくなのはいない」と思ったという。勉強もできて紳士的な財閥の息子もいたことはいたが、希少価値だったそうだ。

そんな彼女が中学校に進んだとたんに、状況は一変した。韓国では、住んでる地域と試験の結果によって中学が振り分けられるので、評判のいい中学に進むために、そういう人達が集まる地域に住民票を移すことまでする人もいる。でも、彼女はあえて小細工をせずに、地域の中学校に進んだ。

そうしたところ、その中学校は白菜などを売って生活しているような貧しい家の子供たちが多い学校で、彼女の置かれた環境は、中学校に上がる短い春休みの間に、180度変わってしまったのである。

彼女の父親は政府の仕事をしていた関係で、そこそこ恵まれていたというが、財閥の子女らに比べたら、小学校時代は裕福度は中の下だったのに、中学に行ったとたん上の上の地位になってしまったわけだ。

小学校時代は、みんなが当たり前のように履いていたブランドシューズも、中学では履いている人がほとんどいない。履いている子でも、親がなけなしのお金で入学祝いに買ってくれた物だといって、それはそれは大切にしていたそうだ。

彼女は、今でこそ両方の世界を知ることができてよかったと言っているが、当時はその差の激しさがかなりショックだったという。

これはあくまでも一つの例であるが、ことほどさように、彼女が小学、中学時代を過ごした1970年代の韓国は、貧富の差が激しかったのだ。

しかし、今の方がもっとその差は広がっていると彼女は言う。昔は貧しい人がとことん貧しいことで格差があったが、今は貧しい人の生活レベルは引き上げられたものの、その分金持ちがさらに金持ちになったことによる格差だという。

そうした韓国の社会事情が背景にあるので、身分違いの恋がドラマの中によく登場する。見るほうも、またこのパターンかとわかっていても、ついついハマってしまうのだ。

『真実』などは、テレビドラマ批評でも、「ありきたりの人物設定に通俗的なストーリー」と非難されていたが、そうは言ってもやはり視聴者はこういうものが好きなのだ。何といっても50%を超えた視聴率が物語っている。

そして、この手の話では、登場人物のうち誰か一人は富や権力への強い欲望を持っているというのも特徴的だ。1997年には、その名もズバリ『シンデレラ』(MBC)というドラマの中で、権力とお金のために御曹司を狙う姉と、真実の愛を求めて同じ人を好きになる妹との対比が描かれていた。

姉の方は、そこまでするかというぐらい臆面もなく欲望を満たすために突き進む。ドラマだからだよねと韓国の友人に聞いてみると、「あれは少し大げさだけど、似たようなことをやっている人は韓国ではかなり多いよ」という返事が返ってきた。「親も娘にいいものを着せたり、食べさせたり、勉強させたり、やってあげることすべては、いいところに嫁にやるためと思っているし」とも言っていた。

日本のドラマによく出てくるように、「私って何だろう?」と、女性が「自分探し」を悠長にやっている暇は、韓国にはないらしい。